革命君とは?

​革命君 齋藤さんプロフィールより一部抜粋

2002年~
業務用酒販卸問屋へ入る

求人誌を見てより日本酒の勉強が出来ると思い入社。この時代に毎週のように蔵元巡りの旅や、地元の百貨店のお酒売り場で開催される蔵元さんの店頭試飲販売に行き、日本酒を勉強。
この時に出会った銘柄として村祐があり、衝撃的な味覚に感化される。ただ、卸問屋での自分の仕事は倉庫番。営業の前線に立てる事のない商品管理の仕事なので、試飲して勉強していることなどは本当に活きるのだろうか・・酒蔵さんへの転職も考えました。その頃、お取引先だった地酒専門店にスカウトされ翌年の春に転職。

2003年~
老舗の酒屋さんでの毎日は刺激も多く、仕入れ担当、番頭として日本酒普及の為、地酒発掘にも最大限の努力をしました。各蔵元さんと一緒に仕事をして、商品開発にも携わり酒質向上の為に全てを捧げました。様々な蔵元さんへ訪問するうちに、お酒を搾る際の特定の部位を採取する技法に着目し、槽場汲み、袋吊り雫酒、無加圧採りによる味わいの違いにもチャレンジしました。現在でも、その後の後継商品は数多くあり、今日の隆盛に関わっておいます。

2010年10月
長年の無理がたたり、急激な体調不良に伴い緊急入院。
病名は「急性骨髄白血病」5度に渡る抗がん剤治療の結果、完治はせず入院中再発。骨髄移植をする以外に生きる道はなく、僅か可能性に全てを懸けました。入院中何度も生死の境を彷徨い、一生に一度の人生を深く考えさせられました。もしも生きて社会に復帰出来たなら・・自分が思い描く事をもう少しやってみたかった、と何度も思いました。

2011年11月末 骨髄移植 翌月末に移植は成功し、希望の光が見えました。


2014年10月
骨髄移植のダメージは大きく残り、現在も定期的な通院は続いています。骨髄移植に伴う後遺症も強くあり、まともに働ける体でない事もよく分かりました。二度目の人生と思い、まともに働くのではなく自分の体調に合わせて働く道を決断しました。自力で酒屋を開業して、全てをそこに懸ける事にしました。

世間的な知名度もなく販売先に悩んでいる。生産量も少なくて困っている蔵元さんそうした方々の力になりたい、生産者の思いをダイレクトに伝えて、それに共感してくださる飲食店さんと一緒に歩んで行きたい。一人の為の一本よりも、多くの人に喜びや感動を与えたい。お客様が飲食店さんならそれが出来る。自分の体の事、病気の事、全て受け入れてくださる方々に全力を尽くす。その趣向で【会員制の酒屋】にしました。

プレゼン無しでも売れる人気銘柄の方が商売としては楽な道だと思いますが、自分がやりたい道や、切り拓いてきた道はプレゼンして生きる独自路線。どういう方がどういう気持ちや想いを込めてお酒を造っているのか生産者の気持ちを伝えたい。難しい説明ではなく分かりやすく伝えたい。会員制の酒屋ならその部分でも理解度は高まり深まると考えました。

事業を新しく始めるには資金が必要です。長らく無収入だった闘病、療養の4年間では自己資金は底をつきかけ、今も続いている通院、医療費もかかります。
資金のかかる店舗にはしないでシンプルにしました。日本酒を保存、保管できる場所。自分はただそれがあればいい。千客万来の店舗にはせず【秘密基地】にしました。そこで自分を待ちうけていたのは、わずか3坪の日本一小さな酒屋とも言うべき空間でした。屋号は革命君(かくめいくん)
屋号の由来は、漫画のワンピースが大好きでその影響も大きくあります。ただ軍は物騒なので、辺の柔らかい君にしました。今の時代に●●酒店とか従来型の屋号では覚えてもらえないかな・・・というのもありインパクトのあるものを考えていました。あ行で始まり、ん、で終わるのも縁起が良いとも。病気によって変わってしまった自分の運命を変えたいという願いがあります。小さな酒蔵でも、皆で力を集めれば大きな力になる、その信念もあります。